あ | か | さ | た | な | は | ま | や | ら | わ |
あ行
頭でっかち | 本物は頭を超えている。もう、既に、そういう人なのだ。 問題意識を持ち始めたという点では積極的に評価できる。考えを生きること、試行錯誤して練られていく過程は面白い。肉体と切り離せなくなっていることに気付くだろう。 確かめないことには確かめようがない。「自分が何に興味があるのかわからない」のも、確かめる行動が欠けているだけなのだ。確かめる作業が道をつくる。 |
鵜呑み | 咀嚼して反芻し、醗酵から完熟するまで沈思する哲学的姿勢の対極のもの。 当サイトに書かれていることも鵜呑みにしないようにお願いします。 |
か行
神 | 「神はいない」と同じ程度に「神はいる」と言える。なぜこの言葉があるのか、まずはそれを問うてみることだ。神秘ならばどうか。運命、天とは。あるいは理不尽、絶対不可解。 わからないことについて素直に「わからない」と認めること、これはマナーである。神でも何でもそうだが「こうだ」と決めつけると新たな気付きが訪れにくい。自ずと訪れたものに沿って考える、これは法則である。さて、ではこの法則(理法)とはなにか。 |
考える | 「わかる」に至るための問う行為で、「わかる」とは既にそのようにあったことをそのようであったと知ること。想起。再認。 |
考え | 感覚器官では把捉できない、思考によってのみ認識可能なもの。思考を可能ならしめる当のもの、でもある。 ヘーゲルが概念と呼んだものと同じ。姉御は「"考え"がわからなければ哲学はわからない」と言った。 言葉というには少しズレがある。例えば「犬」や「Dog」で指示されるその当のもの。ホント、なんなのだろうか。なぜ皆同じものを思い描いていると思えるのか。いつこれがやってきたのか、いや、そもそもやってきたのか。 こんなことを考える哲学者、姉御の言うとおり、癖の強い変人なので放置で問題ない。とはいえ、耳を傾ける価値はある。 |
さ行
幸せ | 求めているのであれば、そこにはない。幸せは感情か状態か、むしろ姿勢のような気もする。 記事『自分を愛することについて』参照。 |
実存的了解 | 「わかる」の別名。その考えが深く腑に落ち、そうとしか生きることができなくなること。 |
自由 | 必然と確信を伴わないのであれば、それは自由ではない。あるべくしてあること。 あのかっこよい台詞「当然のことをしたまでだ」。状況のせいにも誰のせいにもすることなく、その責を一切の他者に委ねない、己のみで充実した選択。それは必然の一択だろう。 |
た行
な行
は行
平等 | 人権における重要な法律用語。が、それ以外のところで適用しようとすると大抵おかしなことになる。 |
弁証法 【ヘーゲル】 | この世から抹消したほうがよい訳語。「正ー反ー合」といった説明がよくされているが、これは誤解を生む。 弁証法とは、論理そのものがもつ、展開の必然性とその運動を示す語だ。ヘーゲルは考えが現実として立ち現れるその様を描写した。 |
ま行
や行
ら行
ルサンチマン的態度 | 「ルサンチマン(怨恨感情)」はニーチェによって広く知られるようになった。怨恨感情を抱いた者が、おのれの不遇を何かや誰かのせいにし、正当化を図るその行為によって自らを弱者と暴露する。自分の闘いを闘いましょう。恨みつらみを自分の居場所にしなければよいだけです。 |