エピローグ

 メッセージ「生きる意味」

 ーもしあなたが生きる意味を求めているならば。

 あらかじめ断っておく。人はおのれの人生の意味は問えない。たとえば仏陀、彼の人生はどうか。今生きる私たちに彼の言動が残されているのはなぜか。彼の言動が普遍的な価値を宿していたからだ。普遍的価値は宿すことにおいて鳴り響く。ところでこの時、誰であるかは問題ではない。違う誰かであったとしても、後世の私たちに残された「それら」に変わりはない。「それら」の出所が名として呼ばれる。価値あることが価値あることなのだ。生きる意味があるとするなら、価値ある意味を生きることなのだろう。

 おのれの生きる意味を問うことはできない。
 より正確にいえば、あなたの意味をあなたが与えることはできない。それは自慰に過ぎない。よって、もともと探すものでもない。

 あなたの意味はあなたを問うているのだ。
 その応答としてふさわしくあるとき、それは足跡として残る。これを希望と呼ぶ。
 あなたの意味は与えられるものだ。
 意味を問えなくとも、意味を生きること。
 信じてもらっていい。こいつに無意味はない。

 お気付きの方、正解です。何かを言っているようで何も言っておりません。
 選んだテーマが無理難題であった。姉御に頼ります。畜生、格好良すぎ。

 私智を去るからこそ、万物が我において在ると知られる。
 真実を神と呼ぶとして、神は我々にあらゆる個性を与えた。
 「汝自身であれ。汝ら私を表現せよ」            -池田晶子