『ふしぎなキリスト教』 【共著】橋爪大三郎、大澤真幸
歴史を心眼でみる。小林秀雄の言葉だ。読んで気づかされたこと。ユダヤ教の神は人間を容赦なく滅ぼす。まったくもって庇護者的存在ではない。自分達の都合のために人間がこしらえてきた神とは質を異にする。そのような神が、なぜ人間の上に君臨し続けることができたのか。
キリストのよみがえりに関しても同様だ(生き返って生活に戻ったということではないようだ)。なぜ史実として、あるいは、実在した人間が物語化して後世に残ることができたのか。紀元前後のローマは現代と比較して劣るものだったとは思えない。想像あるいは実践してみればよい。人が生き返る、企図して史実として残せるかどうか。精神の、歴史の重みと不思議を想う。