認識と現実(後編)
前の記事で「精神疾患の本当の問題はまったく別次元のところにある」と述べた。本当の問題は、認識の相対性に留まってしまうことだ。なぜそうなるかと言えば、自我への執着、これに尽きる。自我を手放すことこそ精神病の根治となる。 …
紡がれる意識の回帰するほうへ転がれ
前の記事で「精神疾患の本当の問題はまったく別次元のところにある」と述べた。本当の問題は、認識の相対性に留まってしまうことだ。なぜそうなるかと言えば、自我への執着、これに尽きる。自我を手放すことこそ精神病の根治となる。 …
精神病理について、哲学からのアプローチを試みたい。精神疾患は認識と深い関係があるからだ。臨床心理の療法の一つに認知療法というものがある。その手法には哲学の認識論という分野から取り入れた要素が多分に含まれている。認知療法 …
◆はじめに 昔、アルバイト先の店長に言われた忘れられない言葉がある。 あの頃の日々は生き地獄と呼ぶにふさわしく、よく生き延びたものだと思う。精神の闇、その際限のなさに圧倒されていた。「これがありえるのか?」その世界が …
処女作には作家のすべてが詰まっているという。姉御の『事象そのものへ』も例外ではない。処女作はそうであるはずなのだ。それまで熟成し発酵してきたものが時を得て一気に噴出、炸裂するのだから。彼女の核にもっとも近く触れることが …
雑誌 BRUTUS(2019/8/15号) の特集「ことば、の答え。」が目にとまったので読んでみた。 哲学と題されたページに、「○○とは?」という問いに数人が答えている文章があった。例えばこんな具合。 (紙面より抜 …
姉御の著書の中でヘーゲルに関する叙述箇所はどうしても読むリズムを断たれた。すんなりと読めない。腑に落ちない。スッキリしない。挙句「ヘーゲルは誰にでも読める」と仰る。「この程度のものが読めなくてどうするの」という挑発と、 …
「疑え、そして信じろ」 …それでいいのか。何か食い足りない。吠える者、噛み付く者、足掻く者たちの絶対数が減ったように、疑うことを知らない輩が増えたように感じる。 素直であることと鵜呑みにすることは同じではない。とこ …
「まず黙れ、そして考えろ」 昨今は法律が錦の御旗らしい。やれコンプライアンスだやれ法令遵守だ。著名人が違法行為をしたとする。ネットやらメディアが喚きだす。「不謹慎だ!」・・・まずオマエが謹慎してくれ。 法律なり風潮な …