序章

精神病理

    プロローグ

    ◆はじめに  昔、アルバイト先の店長に言われた忘れられない言葉がある。  あの頃の日々は生き地獄と呼ぶにふさわしく、よく生き延びたものだと思う。精神の闇、その際限のなさに圧倒されていた。「これがありえるのか?」その世界が …

    認識と現実(前編)

     精神病理について、哲学からのアプローチを試みたい。精神疾患は認識と深い関係があるからだ。臨床心理の療法の一つに認知療法というものがある。その手法には哲学の認識論という分野から取り入れた要素が多分に含まれている。認知療法 …

    認識と現実(後編)

      前の記事で「精神疾患の本当の問題はまったく別次元のところにある」と述べた。本当の問題は、認識の相対性に留まってしまうことだ。なぜそうなるかと言えば、自我への執着、これに尽きる。自我を手放すことこそ精神病の根治となる。 …

    エピローグ

     メッセージ「生きる意味」  ーもしあなたが生きる意味を求めているならば。  あらかじめ断っておく。人はおのれの人生の意味は問えない。たとえば仏陀、彼の人生はどうか。今生きる私たちに彼の言動が残されているのはな …



あの人について

あれとかこれとか

    BRUTUS、おまえもか!

      雑誌 BRUTUS(2019/8/15号) の特集「ことば、の答え。」が目にとまったので読んでみた。  哲学と題されたページに、「○○とは?」という問いに数人が答えている文章があった。例えばこんな具合。 (紙面より抜 …

    哲学の効能

     死ぬのが怖くなくなる。もっと言えば、死がよくわからなくなる。これは、効能か?  人生への「構え」が養われると姉御は言った。そう思う。  ある出来事の遅い遅くないをどう判断できるのか。後から振り返ってみた時に結果的に近道 …

    他人を理解することについて

     誤解している人がいるかもしれないので一応。「わかる」とは頭の作業ではない。SNSの撮影のためだけに飲食物を注文し、食べ残していくという現象があったそうだ。「いいではないか」という。いいといえばいい。だが、勘違いに気づい …

    自分を愛することについて

     「自分を愛する」という表現に出会うたびに、わかったような、それでいてなにもわからない、漠然としたまま終わってしまうことがある。この言葉について、かんがえてみたい。 『すべて自分で選択できる。というより、すでに自分が選択 …

    関心について

     事件が起こればすぐに「なぜ起こったのか」。この分析癖は、他人事で済ます欺瞞が見え隠れする。  無関心が蔓延している。昔、友人に「平和の反対ってなんだろう」と聞いたことがあった。少しばかりの沈思の後「無関心じゃない?」と …

    歴史と自分について

    ヘーゲルと小林秀雄から学んだこと 歴史を動かした者、歴史を透視した者、幾千もの先人たちの名が、それと知られることなく刻まれている。この先人たちと出会うこと、それがわたしに宿る歴史なのだろう。歴史を知るとはいうが、それは知 …