投稿者: 管理人
小林秀雄とその文体について
取りこぼしがないか、そうあっては勿体ないという焦燥が視線を前へと連れ戻す。この澱みの正体は、整えられた鮮烈な意味の連なり、これが姉御の文体だ。小林秀雄の場合は趣きが違う。文に織り込まれた経験、生活、その強靭さを受容することが容易ではないのだ。
この一文がなぜ生まれたのか、表現されたものはそのまま小林秀雄の生活、肉体であって、彼の得心とその明晰、扱う素材への愛を受け止めるには、読み手もまた相応の修練を要する。小林の強靭さは、物つまりはおのれと向き合う力にある。凝縮された忍耐が、読み手の精神の質を問う。
小林は作品「モオツァルト」において以下のように語った。
『例えば、風俗を描写しようと心理を告白しようと或いは何を主張し何を批判しようと、そういう解り切った事は、それだけでは何の事でもない、ほんの手段に過ぎない、そういうものが相寄り、相集まり、要するに数十万語を費やして、一つの沈黙を表現するのが自分の目的だ、と覚悟した小説家、又、例えば、実証とか論証とかいう言葉に引き摺られては編み出す、あれこれの思想、言いかえれば相手を論破し説得する事によって僅かに生を保つ様な思想に飽き果てて、思想そのものの表現をめざすに至った思想家、そういう怪物達は、現代にはもはやいないのである。真らしいものが美しいものに取って代わった、詮ずるところそういう事の結果であろうか。それにしても、真理というものは、確実なもの正確なものとはもともと何の関係もないのかも知れないのだ。美は真の母かも知れないのだ。然しそれはもう晦渋な深い思想となりおわった』
沈黙から生まれる美。戯れというには覚悟がありすぎる。美の純粋は、おしゃべりを取り除けば現れる、そうしたものではない。美は真らしいものに取って代わってしまった。虚飾の仮面を剥いでみたとして、気付かれてもいない美が、そこにあるわけでもないだろう。さらには晦渋なものとして、真は遠ざけられてしまった。怪物が消えたことへの、深い喘息。とはいえ、解り切った事を言っているだけでは何にもなるまい、こうして小林は怪物たらんと努めた。一方で、姉御は怪物として小林の方法を真似た。
小林秀雄を揶揄する者が言うには、彼の文章は「どうだ!この野郎」という見栄に尽きる、およそこのような批判だった。なるほど、その傾向は確かにある。いや、むしろその指摘は的を得ているといってよい。「御伽噺や空想の類には倦んだ。俺は語られているものに耳を澄ます、これがそうだ、そうではないか」。小林の基調は一貫していたし、簡潔そのものであった。
小林が格好付けしいだったことに間違いない。ランボーを邦訳した人物である。ランボーのその早熟、鋭敏を好む者で「格好良さ」を価値として認めない者がいるはずもない。表現するのであれば「格好良い」方が良い、そう思うのは至極当然で非難にはあたらない。むしろ、最近の表現にこの要素がみられないことが残念で仕方がない。この要素こそが魅惑的なのだ。人を惹きつけるのだ。格好良くないロックンローラーはロックンローラーとして認めない。なぜなら格好良くないから。格好良さも美も、共通しているのは気概なのだ。否応なしの生き様、不可避の覚悟が滲み出てしまっているかどうか。
昔の話だが「ロックって結局何なのさ」という質問に友人がこう答えた。「俺についてこい!じゃない?」
そのとおりだと思う。「俺についてこい」、そう言える覚悟をもつ者がどれだけいるだろうか。信頼に足る自分である、確然たる決意なくして先の発言は不可能だ。
「間違い?物の数じゃねえ、生き切ろうぜ」
小林の矜持に応答できるだけの度量を持ち合わせていない者が多かったから「小林秀雄は難しい」という物言いが流通した。小林の書いたものを理解できないからといって、文句を言うのはお門違いというものだろう。おしゃべり云々の前に、純粋な美を見つめるがよい。眼前の、そこにすでにある、それ。
考えるヒントのあとがきに「緊張を強いられる」と書いてあった。一度読んでわからなくとも、経験を積んで再度読み直す、味わうことができる、それが小林の文章だ。優れた文章、その答えを最近知った。月並みではあるが、何度も読み返すことを誘う力をもち、都度で新たな発見をもたらすもの、がその一つなのだろう。小林と姉御、御二人に及ぶはずもない。が、やはり足掻きたくてのこの文章。小林秀雄というモチーフに出会った、であればロックを追求してみよう、挑戦した。何を言っているわけでもない。
『意は似せ易く、姿は似せ難し』
意であれば、とうの昔に書くことなくなってらぁ。
関心について
事件が起こればすぐに「なぜ起こったのか」。この分析癖は、他人事で済ます欺瞞が見え隠れする。
無関心が蔓延している。昔、友人に「平和の反対ってなんだろう」と聞いたことがあった。少しばかりの沈思の後「無関心じゃない?」と答が返ってきた。Coccoは昔「知らないことは罪だ」と言っていた。おそらくは同じ意味・・・いや、彼女の場合は字義通りかもしれない。そしてそれは、やはり、ただしい。子供の残酷さは無知ゆえのものだ。大人も変わらない。
あるTV番組で屋久島の女性ガイドが「人は知ることで優しくなれると信じている」と言っていた。そう思う。
ところで。
関心は個性そのものだ。より強く言えば宿命、使命だ。自分を生きるとはそういうことなのだ。
このことに関心を抱いてしまった気の毒な方、出番のお時間です。
「嫌われたくない」を考える
序章(三つの記事)をより理解してもらいたくて本記事を書いた。「考える」とはどういうことなのか。ロダンの彫刻「考える人」をイメージする人もいるかもしれない。ただそうなるのも作品に罪はなく、単に有名だったことによる。考える、その実態がよくわからない方のために「嫌われたくない」を題材にして提示したい。
冒頭は、考えるその生(なま)の現場を披露する。頭に浮かんできたものを出来るだけ逃さず、可能な限り整理して記述した。が、文章があちこちに散らかることは御了承願いたい。始める。
「嫌われる」とはどういう事態なのか、転じて「嫌う」はどうだろう。
ある人を嫌うとは、どういう理由でそうなのか。相性とするなら不可避で確率の問題となる。しかし嫌いがのちに好きに転じることもあるから、一時的な感情といえるかもしれない。
この感情はどうやら制御不可能のようだ。つまり交通事故の類ということになる、が、どうも違う気もする。他人の不快さが際立つのは、自分の写し鏡としての作用であり、自分に依拠していることは経験から推測できる。
さて、嫌いの発生源は嫌う側、嫌われる側のどちらにあるのか。嫌われる側の問題であれば、その人は誰といても同じような理由で嫌われる。その人の、人として好ましくない性質が改善されないことには(このことはしかし、いつまでたってもお互い様だ)。
「嫌われる」も「嫌う」もその源は結局、自分なのではないか。嫌うこと、そのこと自体は相手ではなく自分の問題のようだ。嫌われる、これも自分が「そういう状態にある」とすることであって、実は他人は関係ないのかもしれない。他人も同様のはずで、よくよく調べると「嫌われる」には実態がなく、ただ「嫌う」しかない、といえるかもしれない。本人に「嫌われている」自覚がないのであれば、他人の「嫌う」のみがあることになる。「好き」の確かさと「好かれている」の確かさはどうだろう。
少し視野を変えてみる。「嫌われたくない」が「仲間外れにされたくない」「目立ちたくない」の意味であれば、周囲から浮くことを恐れているのだろう。その場合「少数派側になりたくない」とさほど変わらない。少数派と多数派、どちらに属すかは尺度によってころころ変わる。確かに少数派は侮辱を受けやすい。が、常に多数派側にいることを望むかといえば、偽りの安心でしかないそこが心地良くないことは既に知っている。
また、一対一の関係で対立を恐れるのであれば、対等の関係を失うことではないだろうか。その先に信頼は訪れるだろうか。そもそも嫌いという感情を抱くことは好ましいことなのか。それを皆が望むだろうか。少なくとも積極的に味わいたい感情ではない。
とまあ、思い付くままにに繰り広げてみたが、渦中にいないので理屈しか書けないことに気づいた。考えることがどのようなことであるのか、この記事はそれを示すことだ。続ける。
この段階で大切なことは、答えに手が届くことではない。答えに辿りつくための考え、その量を増やし凝縮した質に高めて、それらを網の目のように張り巡らすことだ。そうすることで無意識的な視野の拡大が付随する。張り巡らせた無数の考え、それら先端を世界に設置し、そこで発火が起こるのを待つ。世界に張り巡らせた無数の考えによって気付きの、フィードバックの量が増える。考えた、知ったからこそ、他人あるいは世界に気付きを見出すことが可能となる。特別なことでもなんでもなく、誰もがしていることでもある。例えば、その作業について知れば知るほど、彼の動きの無駄のなさに気付けるようになった、とか、仕事に慣れるに従ってなぜ彼女がその段取りを大切にしているかが理解できた、とか。
思考が感性を磨く。記事『煽動としての序章その1』で「思考と感性は編まれた一つの縄」と書いたのはそういう意味だ。考えることによって新たな発見と出会い、その発見によって考えが進展していく。感性の領域が拡大しているからこそ、結びつく。無意識にせよ、以前に意識に上らせた事柄だからこそ気付きが訪れる。いわば回収作業が発生する。
この繰り返しによって、点と点がつながって一気に開ける瞬間、「ああ、そうか。そうだったのか」とわかる瞬間が訪れる。確信に至るのだ。ニュートンが落下するリンゴをみて万有引力に思い至ったのも、故なきことではない。
「本を読んで知見を広げる」とは、世界に横たわる事象への気付きを得ること、自分自身の事柄として出会うことであって、内容をただ鵜呑みにすることではない。知見を広げるとは、文字通り、知ったうえで見る、気付きの領域を拡大することだ。本に答えがあるわけではない。答えに出会う、血肉とすることと知見を広げることは別物だ。このことを踏まえるならば、本を読むことは有益だ。・・・クソみたいな本も大量に出回っていることでもあるし。
ここからは、上記を書いてしばらく経過した後に発火が生じて得られたものだ(内容の発展というよりは、他の記事で書いていることと結びついた、といったもの)。アウトプットありきのインプット、吐き出して吸う。つまりは言語化によって考えは発展していく。言語化はきわめて大切で、自分が何について関心があるのか、それらが明確になる。というより、明確にする作業そのことだ。そもそも関心事でなければ頭に浮かんでくることもない。これらをキャッチすることが始まりだ。いったん「嫌われたくない」に戻る。
嫌われることを恐れて生きた場合の、いわば結果の方から考えてみよう。どうなるか。
一つ目。周りに流される生き方を選択するようになる。習慣化すれば、ほぼ無意識的にその選択が実行される。自分で決めていないので、当然ながら自分で選択したという実感もない。そうなると、おのれの在り様(例えば惨めさ、生き辛さなど)を他人ないし社会に責任転嫁する態度に陥りやすい。「自分で決めたわけではない」と思い込んでいるのだから。
二つ目。頭で考えただけの抽象(空想)がいつのまにか「事実」となる。「人間とはそういうものだ」あるいは「人生はそんなものだ」「現実はそういうものだ」など。この代償は高くつく。諦観と、感性の麻痺が進む。周囲への、さらには自分への関心も失っていく。いや、恐らく失っていることにも気付かない。こうした姿勢は、嫌われないかもしれないが好かれることもない。この時にはもう、個性が見えにくくなっているのだから。
話を、「考える」ことについてへと戻そう。
人はみな手にした答え、考えを生きている。「考えるより先に体が動いた」とはよく聞くが、その言わんとするところは「自然と」あるいは「無我夢中で」という意味だろう。注意してほしい点は、どのように動いたのかは「考え」による、ということだ。救助の場面であれば、救助が他に優先される価値としてその人の魂に刻まれていたからで、サッカーで不意をつく走りをしたのは決定的な地点でパスを受けるためだ。どちらの例も、その動きをその時の最善として認めていたから、その行為となった。よって「考えるより先に体が動いた」というのは方便で、実際のところは「意識する暇もなく、既に宿していた考えが実行された」がより正確な事態だろう。
その人の考えは行為に表現される。別の例をだそう。「悪いとわかっていたがしてしまった」とは結局のところ、悪いと思っていなかった、あるいは、わかっていなかったのであって、と同時に、体裁をつくろう発言をする人間であること、これらを明確に表現している。もっと言えば、発言時点においても「悪いと思っていない」と判断できる時もある。「悪いとわかっているがしてしまった」にこれ以外の捉え方があるか?(かつての自分がそうであったから間違いない)
ともかくも、あらゆる行為は「その考え」によって「その行為」となる。ということは、すべてが考えの結果なのだから、その考えが問われるということでもある。選択の連続、その過程において考えを深めていくことこそ「問いを携えて生きる」ことであり、「考える」とはこういうことなのだ。それが大切だ、ということでもなくて、人生を歩むそのことなのだ。考え方が変われば、生き方が変わるのは当然の理(ことわり)であって、哲学があらゆる学問のメタに位置付けられていることも当然なのだ。
ただしい選択が可能であるなら、吟味を経たうえで選択され、かつ、誤りがあればそれを認める、こうした過程の繰り返しの先に見出されるものだろう。答えというものは問いあっての答えなのだから、求める姿勢、問いを持つ姿勢は不可欠だ。ソクラテスが言った「無知の知」とは「知らない。わからない。だから求める」という姿勢に他ならない。言うまでもないことだが、問いを携えるといっても問いの形式である必要はなく、「考え」を張り巡らしたうえで世界と、おのれと向き合うだけのことだ。
「考える」とは、答えを選び取る過程にあると自覚することだ。そして、当たり前だが、誰も自分の代わりに考えることはできない。そもそもが独りきり、孤独な作業であるから、その決断は孤独の上に成り立つ。よって孤独を恐れようがない。自らの決断が本当にただしいのか、それをそのような価値としたことが本当にただしいのか、ケツを拭く覚悟は既に備わっているはずで、孤独の不安に怯えて徒党を組む必要もない。「この」孤独は不安を携えない。独りきりで、充分に胸を張れるのだ。魂の高潔さ、真贋はこうしたところで確認できる。
・・・着地点を見失ってしまった。無理矢理の結論。「考える」と嫌われることを恐れることはできなくなる。
選択することの大切さに関しては、記事「自分を愛することについて」を読んでみてください。
自分を愛することについて
「自分を愛する」という表現に出会うたびに、わかったような、それでいてなにもわからない、漠然としたまま終わってしまうことがある。この言葉について、かんがえてみたい。
『すべて自分で選択できる。というより、すでに自分が選択している、その事実に気付くこと。
言いかえると、誰のせいにも、状況のせいにもできない、そのことを受け容れること』
メニャリータは「他人に自分を預ける人はずるい」と言う。「自分のことは自分で決められる」とも。
日本語の事情があるのだろう。英語ではYesかNo、するかしないかであって、例えば「○○さんが困っていたけど、そんな空気ではなかったから何もしなかった」は「助けなかった」と同じだ。より正確には「助けないことを選んだ。助けないことに決めた」となる。日本語表現の曖昧さが、自分の選択、その有無をうやむやにする。覚悟を、決意を先延ばしにし、責任逃れにもつながる。
個人的な話になるが、煽り運転をされることが非常に苦手だ。高速道路であろうと急ブレーキを踏むこともある・・・幼稚きわまりない。これがメニャリータの言う「他人に自分を預ける人」の典型例だ。怒りは当然、誰のものでもなく私のものだ。反応としての怒りはどうしようもないとしても、その後の行動は選べる。「あちらがこうさせた」と他人に責をなすりつけるのは、ずるいのだ。「あちらがこうさせた」とは蓋を開けてみれば、無責任を要求する、ある種の被害者意識で「今のアタイがこんなトンチキなのは○○のせい」と同じだ。
みっともないのは煽る者ではなく自分であった。気付かされたのは昔のことでもない。
このことを理解してから職場で周囲を見渡すと「やりたくてやっているわけではない」然とした人が少なくないことに気付いた。その会社に入ったから、その仕事を割り当てられている。それを選んだのだ。そのように収入を得ることを選んだ。誰が頼んだわけでもない。仮に頼まれたとして、引き受けたのは自分であろう。自分が選択したのだ。
境遇を、漠然と何かのせいにしているような印象を受ける。一日の1/3をここで過ごすのだ。なぜ自分事としないのか。その状況を誰かの、何かのせいにするのはお門違いだ。向き合い方次第で豊かな時間とすることも可能なのだから。
自分の選択を生きる、自分を生きようとすることが自分を愛することであるのは明らかだ。極論、生まれたから(仕方なく)生きているにせよ、生き方は選べる。不平不満はあるにせよ、誰のせいにもできない。そこから始めるしかない。自分の人生、その主導権を他人に明け渡すこと、それは自分を愛することから最も遠い。
「あの人から言われて」「みんなそうしているから」「そういう空気だった」どれもこの国ではよく聞かれる。だからこそ、そのうえで、あなたが選択するのだ。「・・・に決めた」が欠けている。決めたからこそ覚悟が生まれる。堂々とした姿勢には必ず、覚悟が、決意が伴っている。人の行為には、その人の考えが宿っている。考えは行為として具体的に現れている。考えることなく、決断することなくそこに居ることも現れの一つであって、考えることを抽象的なものだとする勘違いはそろそろ止めていい頃だ。
選択したとして、必ずしも明るい未来が待っているわけでもない。以前、食品偽装を告発した男性の、その後を追ったドキュメンタリー番組を見た。男性が営んでいた会社は取引先を次々と失って倒産し、妻と離別、娘さんは自宅マンションから飛び降り自殺を図り、九死の一生を得たが全身麻痺となり、父親である男性が介護する日常があった。驚いた。告発は簡単なことではないのだと、様々な圧力がこうもかかるのかと思い知った。この日常には未だ知られていない危うさがひそんでいて、牙を剥く時は個人などは一瞬で吹き飛ばされる。
決して他人事ではない。食品偽装が現実に起きていることを明らかにしてくれたのは彼だ。この問題は、彼を何者とするのか、わたしたち一人一人の側にある。態度決定こそ、彼に対して出来ることでもある。
無関心、他人事とするのは決断の先延ばしにしかならない。見て見ぬフリでは土壇場で慌てる羽目になる。既に覚悟があるときに堂々とした姿勢が可能なのであって、自分事として考えておく、態度を決めておくことで似た事態に遭遇しても構えることが出来る。無論、見ぬフリを決意したのであれば、それはそれで清々しい。なんであれ、誤りだったとして、誤りが誤りとなるためには選択が、決意が不可欠なのだ。
本題に戻ろう。「他人に委ねずに自分で決める」ことは「自分を愛する」ことであった。関連して、自己肯定について。
「自分に自信をもてない」、そんなものはあってもなくてもよい。自信という字面が、自信のもつ語感が曲者なのだ。例えば「良い作品をつくりたい」のであれば、その過程で自分の意見が否定されたとしても、気にならないはずだ。なぜなら求めるものは「良い作品」であって、自分への評価ではないのだから。自信など不要である。誰もがそう、と確信しているとき、自信はその根拠をもつ。
「他人に自分の評価を期待する」とは実のところ「他人に自分を預ける」ことであって、受け取った評価の確証作業に終わりはない。他人の評価を拠り所とすることが悪いと言っているわけではなく、そこに安心を求めることは構造としてできない、と言っているのだ。
自分を肯定することにおいて、誰であろうと、親も兄妹も子供も友人も、頼りにできない。法律も慣習も、何もかも。クロマニヨンズはこのあたりの事情を「Feel So Great 無条件」と朗らかに歌った。けれども、この「無条件」の獲得には少なからぬ努力が必要で、努力とは自分の選択を生きる、一つ一つ選択を積み重ねていくことをいう。成功体験もあれば失敗体験もある。この繰り返しによって育まれる何かがある。わかりやすくいえば「お天道様に胸を脹れる」かどうか、「やることはやっている」と言えるかどうか、信頼に値する自分である、値しないときもふくめてその確信があるかどうか。ここまでくれば、無条件に辿りついている(もはや条件か?)。つまりは自分を確信している。
「自分を愛する」ことは同時に、分相応を知ることでもある。自分の限界を認めることも含まれるのだ。「良い社会」を口にしながら、なかなか変わろうとしない他人を責めている自分に気付く。その現場は既に「良い社会」とは程遠い。覚悟をもって始めた行動だったはずが、不平不満と化した自分を見出す羽目になる。自分ができること、その範囲をしっかりと意識する必要があって、これを忘れると、いつのまにか誰かに責任をなすりつける転倒が生じやすい。曰く「こんなにも○○のために頑張っているのに・・・」。
他人を変えることはできない。他人を変えようとすることは分を超えた試みであって、他人がどうであるかは関係ない。自分がどうありたいのか、その選択、その連続しかない。
自分の選択を尊重できなければ他人の選択を尊重できるはずもない。裏返すと、自分の選択を尊重することは他人の選択を尊重することでもある。誰かからの叱責、その瞬間に変わることなぞできなかったように、それが自分へと入る瞬間、訪れた気付きのタイミングでしか変わることができなかったように、他人もまたそうなのだ。他人の選択を尊重するといっても、このことを納得する程度の話で、よって他人の選択を尊重することは案外、簡単ともいえる(実践は難しいです)。
わたしたちができることは、その時その場所で、自分がどうありたいか、それを表現することであってそれ以上ではない。
白状すると「愛」については語る資格はない。確かに掴んだ、そう言える確信はまだ訪れていない。どうやら、愛とはやはり、おのれを棄てることのようだ。「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」の著者である樋口氏は、「自分を愛する」とは『人の関心に関心を示す』ことだと言った。対人に関してはそうなのだろう。
「自分を愛する」とは『私の、この、世界を愛する』ことだとメニャリータは言った。その実践において、自分という語が消えること、そもそもが不要であることの不思議。
『人の関心に関心を示す』ことは自分自身も対象となる。となれば、対象としての自分に関心を示す当の自分とは誰なのか。誰に対してもそのように臨む、誰でもない、それ(記事『認識と現実(後編)』への誘導です)。
2022/04/26 追記
先月「嫌われる勇気」という本を読んだ。ハウツー本と思って敬遠していたのだが、読んでみて驚いた。なぜというに、アドラー心理学とこの記事の内容がほぼほぼ一致していたから。考えれば、誰もが同じ考え、普遍にいたる、そのことが実感できたのと同時にガックリした。
「すでにあるじゃん。しかも超ベストセラー・・・」
こうしてまた一つ、絶望的自慢を実感しました。とはいえ。結果的に、アドラー心理学を日常語で表現する試みになったとは思います。
他人を理解することについて
誤解している人がいるかもしれないので一応。「わかる」とは頭の作業ではない。SNSの撮影のためだけに飲食物を注文し、食べ残していくという現象があったそうだ。「いいではないか」という。いいといえばいい。だが、勘違いに気づいていない。、錆びた感性の持ち主だと周囲に晒していることが「わからない」。とはいえ、どこまでいってもお互い様なのだが。
「わかる」「わからない」は行為として現れる。断じて頭の作業ではない。
勘違いついでに。ニュースキャスターが「今は多様性の時代、様々な価値観が尊重される時代です」と言っていた。尊重されるだけの価値になるまで磨かれ、そうして初めて認められるのであって、この過程を省いた受容はあり得ない。誰もが尊重する価値であればその時は、多様性の仮面は取り除かれているだろう。そこに残る個性を多様性と呼ぶ。「今も昔も、相応しい考えが尊重される時代」が正解だ。個性とは我ではない。個性は尊重しなくてよい、ただ人を、世界を尊重すれば事足りる。そこにある個性はどうやら、脈々と培われている底流、そこから沸きあがる普遍(誰もが尊重する価値)からの贈り物であるらしい。というのも個性、個別は普遍なくしてはそもそもがありえないのだから。
ようやく本題。
他人を理解するとは自分が「わかっている」ものを他人に見出すことだ。その感情、想いを抱いたことがある、表情、言動、その文脈が自身に既に知られているから理解できるのだ。知らないものがわかるわけがない。聞いたことも食べたこともないものは知らない。わからない。己を味わうことなくして他人を理解することはできない。己自身を知る、これが他人を理解するための前提条件だ。
既に「わかった」それらであれば、他人の中にも見出せる。それを知っている、その確信があってはじめて「理解する」という言葉がその正当性を帯びる。自分がわかっていないことは、わかる由もない。
つまりは冒頭の話は本当のところ、「食べ残されたものって美味しかったのかしら」くらいしか実は理解できていない。
以下はできること、できないことの比喩です。
「俺の苦悩がオマエにわかってたまるか」と言ってくる者がいたら、こう答えればよい。
「オマエの苦悩は知らないが、苦悩はよく知ってるぜ」
それでも隣に立つことはできるのだ。同じ視線で同じものをみることはできるのだ。いや、それは傲慢だ。
それでも、隣に立つことはできるのだ。
他人を理解できてたまるか。このことに果てはない。
哲学の効能
死ぬのが怖くなくなる。もっと言えば、死がよくわからなくなる。これは、効能か?
人生への「構え」が養われると姉御は言った。そう思う。
ある出来事の遅い遅くないをどう判断できるのか。後から振り返ってみた時に結果的に近道だった、とか、当時は最悪と感じていた出来事があったから今がある、とか、経験したことがあるだろう。何がどう転ぶかわからない。人間にとっては偶然でも、おおきな視座に立てばすべてが必然だ。バタフライ・エフェクト。事故に巻き込まれて死ぬことを誰も望んだりはしない。が、誰にでも起こりえる。死の訪れの遅い遅くないは決められない、が、確かに死はある、が、体験した者は一人もいない。体験がなくなること、それが死だ。未体験でしかありえないものの経験、というありえない形で還る。
「死を恐れることができなくなる」ことについては、姉御の著書を一読されたし。あの論理への信頼、あの実存的了解、あれは立派に真っ当なキチガイのそれだ。
遠足が楽しみで早起きした興奮気味の女の子に起こされた容姿端麗な母親が眠気が取れず少し胸をはだけた無防備な姿で陽気な新聞配達人と世間話をしている様子を自転車で振り返りながら見ていた三軒隣の青年が、二日前から会う約束をして友人宅へと訪れた男が側路に止めていた車の後ろに突っ込んだのは決して偶然じゃない。
明日死ぬかもしれない。それでは駄目か。「その時はその時」と言える心持ちは自由であろう。「明日のことは明日が心配します」とある人は言った。もう少し、手放していい。出来ることは決して多くはなく、少なくもない。哲学の効能のまとめ。構えが、覚悟が養われる。幸せになれる・・・というより、幸せに拘泥しなくなる。というより、幸せがなんのことかよくわからなくなる。いえ幸せですがなにか?。これは効能か?
エピローグ
メッセージ「生きる意味」
ーもしあなたが生きる意味を求めているならば。
あらかじめ断っておく。人はおのれの人生の意味は問えない。たとえば仏陀、彼の人生はどうか。今生きる私たちに彼の言動が残されているのはなぜか。彼の言動が普遍的な価値を宿していたからだ。普遍的価値は宿すことにおいて鳴り響く。ところでこの時、誰であるかは問題ではない。違う誰かであったとしても、後世の私たちに残された「それら」に変わりはない。「それら」の出所が名として呼ばれる。価値あることが価値あることなのだ。生きる意味があるとするなら、価値ある意味を生きることなのだろう。
おのれの生きる意味を問うことはできない。
より正確にいえば、あなたの意味をあなたが与えることはできない。それは自慰に過ぎない。よって、もともと探すものでもない。
あなたの意味はあなたを問うているのだ。
その応答としてふさわしくあるとき、それは足跡として残る。これを希望と呼ぶ。
あなたの意味は与えられるものだ。
意味を問えなくとも、意味を生きること。
信じてもらっていい。こいつに無意味はない。
お気付きの方、正解です。何かを言っているようで何も言っておりません。
選んだテーマが無理難題であった。姉御に頼ります。畜生、格好良すぎ。
私智を去るからこそ、万物が我において在ると知られる。
真実を神と呼ぶとして、神は我々にあらゆる個性を与えた。
「汝自身であれ。汝ら私を表現せよ」 -池田晶子
認識と現実(後編)
「認識の主体は誰か。自我から自己(普遍的精神)へ 」
1.「自分とは何か」
この問いに恐らく大多数の人は、名前や肉体、国籍などの属性を提示することで答えようとするだろう。が、それらは自分を示すものではない。肉体ひとつをとっても食べ物や排泄物、それらが自分となる、或いは自分ではなくなる、とするのはどの時点か。呼吸も同様。身体外部との境界はどこにあるのか、そもそも境界を設けることは可能なのか。声は、どこに響いているのか。言葉はなぜ心を揺さぶるのか。意志はどこで満たされるのか。身体の細胞は数年間ですべて入れ換わるというが、この意味でその肉体(臓器や細胞それら全体)は既に同一ではない。名前もそうだ。法的手続きをとれば変更可能なそれを自分といえるのか。国籍も同じく自分の属性に過ぎない。
自分を属性によって示すことはできない。しかし、だ。このように考える自分、あらゆる属性を取り払ってもなお残るものが確かにある。デカルトはそれを「我思う。ゆえに我在り」と示した。姉御はこう修正した。「これ思う。ゆえにこれ在り」
「我」では狭い、加えて自我的な要素がまだ臭ってしまう、そう感じたのだろう。
荘子の「胡蝶の夢」という説話がある。夢のなかで蝶になって飛んでいるのは自分だった、目覚めれば荘子という自分であった、どちらも自分であった。では荘子でもあれば蝶でもある自分とは何か。胡蝶の夢でなくても、身体が入れ替わる物語がある。入れ替わった者はそれぞれ異なる肉体にあって元の自分を精神として維持している。自分というものが誰になっても、それが自分とわかっている自分、これは最早誰ともいえない自分であろう。つまり属性云々で語られる以前のその根源的な主体ー。
これが普遍的精神としての自己、『私』という普遍的形式である。
(姉御にならえば、誰ともいえないのであれば人称性も不要ということで『これ』となる。)
本記事における「自我」と「自己」の定義を簡潔に述べておく。
「自我」とは通常の意味での自我、個人を指す。これに対して「自己」とは、普遍的形式としての『私』、自我を超えた視座に立つ個人を指す。誰ともいえない自分という点で個人としての意味からは自由であり、個人でありつつ個人ではない、メタの立場からおのれに接することが出来る。つまり「自己」において本来の相対化がはじめて可能となる。自身ですら、相対化されるのだ。
自我と自己、この構造に気付くことによって認識主体を普遍的精神としての自己-根源的な主体-へと明け渡す道が開かれる。これが先の記事で書いた「一度死ぬ」こと、自分を手放して自分に出会うことである。自分に出会うとは、本来の状態を見出すこと、取り戻すこと、もしくは余剰を取り除くことであり、他の何かになることではない。
2.自我
自我の舞台は、やはり「自我」になるだろうか。「自己」と対比して狭い意味での自分、と考えてもらえればよい。端的な表現がみつからない。
彼の関心事は人生におけるあれやこれやの出来事、それらが自分にとってなにであるか、に向けられる。このことは誰にとってもそうであるし是非もないのだが、本記事で注目したいことはその価値判断、価値基準がどのように構築されるのか、という点にある。
以下、精神科医である石田春夫氏の文章を紹介する(一部改変)。
「自分が何者であるかを示すため「自我」は先ず、ある特定の社会において価値として認められているものを価値基準として取り込む。そしてこの取り込みは、その社会に属している他人からの承認を必然的かつ無自覚的に目的化する。その価値基準に違和感を覚えた時にはそれを再構築するが、基本的な構造に違いはない。このように造作された「自我」は否定を恐れる。そもそもが承認をその根拠としているからだ」
まず社会的な価値基準を取り込む。そのうえで新たに自分の基準を付け加え、都度修正していく。石田氏の洞察のとおりに形成されることを前提として話を進めたい。
さて、流通している社会的価値基準はそもそもが相対的だ。文化が異なれば価値基準も異なることは誰もが承知している。そこで社会的価値基準に疑問を抱いた者は、自分自身の色を加えて変形、修正を施す。カスタマイズする際の基準は「自分にとってどうであるか」、当たり前ではあるがそうした類となる。とはいえその価値序列の相対性が消えるわけではない。ここに問題が発生する。
というのも、価値序列の構築はその根拠をみずから裏付けなければならず、裏返しとして、その正当化を背負うことになるからだ。例えば「この作品が素晴らしい」と公言することは、自らの価値序列を表明することであり、それを否定されることはそのまま本人への否定に直結する。
個人が単独で背負う価値序列は脆弱であるほかなく、否定に対して脅迫的な正当化に迫られる。つまり、不安を孕むことは避けられない。対立する価値序列に直面するとそれらを排撃しようとするか、あるいは一定の距離を取って関係を遠ざけようとする。自分の安穏を脅かすものは排除すべきものとなるのだ。
自己防衛として別のベクトルもあり、孤立に怯えることがないように価値の共有を求めることもある。あるいは共有されている価値として認めた(例えば金銭的成功)その価値の強者になろうとする。これが承認欲求と呼ばれるものの正体で、その本質は依存あるいは支配欲だろう。同じことの裏表の言い方に過ぎない。近年、急激に加速している価値の細分化は、近似する価値をもつ者たちで集まり、そこに身を置くことで安心を見出そうとするもので、排他性が強まると境界線を設けて外と内とに分断する。この動きに伴う口癖が「わたしとあなたの考えは違う」「楽しみは人それぞれ」「あなたに迷惑をかけただろうか」といったものだ。しかし内としたそこにおいても、心のどこかでは承認の不確かさに怯えている。
余談だが、最近よく耳にする「それぞれの正義」も同じだ。正義が対立すること自体が既に語義矛盾なのだが、そのことは置いておくにしても、それぞれの正義の行き着くところ、戦争と分断である。
脅迫観念とは、脅迫的に正当化を迫られている状態、自身の正当性の揺らぎに対する無意識的な自己防衛の緊張状態であり、ある閾値を越えると神経症的症状として現れる。不安に直面する自分の内面がフォーカスされ、ちょっとした動揺も大きな揺らぎとなる。いわば、自我がひるがえって剥き出しの身となって世界を覆う。ここまでくると、少し触れられるだけでも不安や恐怖が噴出する。言ってしまえば肥大した自意識、単なるナルシシズムなのだが、ともかくも、自我に囚われる自縄自縛の構造がここにある。
自我における価値序列の構築、その本質は、承認の闘争に身を置くことだと言ってよい。ちなみにニーチェが発狂したのも、価値の絶対化への意志、強者たらんとした必然の結果だ。晩年の彼の顔にはゾッとするものがある。
3. 自己
では自己はどうだろうか。自己の舞台は個人を超えた、広大な地平だ。自己は自身を含むあらゆる自我を相対化している。自ら価値序列を構築をするのではなく、誰にとってもそうであるところの普遍的な価値序列、既にあるそれに身を委ねる。
自我のそれとの違いを簡潔に表現すると、自我において「自分にとってどうであるか」であったものが、自己においては単にあるいは純粋に「どうであるか」となる。自我の色付け、余剰を取り除いてありのままをみる。それだけのことだ。
自我が正当化に囚われるのに対し、自己は正当化から無縁である。自ら構築した価値序列ではないので、それに対する評価を気にかける必要がない。自己の正当性、その根拠を問われても困るのだが、実は既に根拠なのだ。
例えば「正義」は、それが正義であるかぎりで正義なのだが、その確信を求める、誰にとっても正義であるものを正義として認めるその姿勢こそが、普遍に身を委ねることだからだ。
失敗について考えてみよう。なにかしらの判断材料がなければ、つまり成功の基準を設定していなければただ結果があるだけだ。なぜ失敗とみなしているのか、その判断基準はどうしてそうなのか。確かに失敗はある。しかし、ありのままに認識しているだろうか。期待なり成功基準なり自分が付け加えた諸々が覆い被さることで、行為本来の価値を不明瞭にしてはいまいか。
とどのつまり、失敗として認識しなければよい、ということになる。これが前編で紹介した認知療法なのだが、その認識の組み換えが自我の土俵のうえでなされる場合には、認識をどう組み換えたところで、その根拠をみすから背負わなければならない。つまり相対性を抜け出せない。
自己における認識は「まさにそれである」を志向する。つまり、ただしく映す、ことを求める。手垢を根こそぎ洗い流すのだ。例にあげた失敗においても、手垢、それらが綺麗に洗われるならば、恐らくそう見えていたものがその姿ではなくなる。とはいえ、やはり失敗を失敗としてただしく認識することも手放さない。誤魔化しはありえない。あるがままの「まさにそれ」を受け取るのだ。
この状態こそ「自分を棄てる」ことだ。自我による余剰が剥ぎ取られた世界では不思議と覚悟もまた、降りてくる。迷いや恐れがないのだ。
ただし。「まさにそれである」という確信へと至るための思慮は不可欠だ。といっても、ただしく映す、その気持ちがあれば思慮は自ずと養われていくので心配はいらない。
無論、自己においても苦難や困難は容赦なく襲いかかってくる。派生する感情を味わうことにもなるが、それら現象を眺めやるにしても埋没はしない。生を受けたということは、否応なしに存在の構造に巻き込まれていることだ。よって最後のところ、存在の構造に責任を帰すことを知っているので、視線の先を常に真ん中に向ける余裕が生じる。絶対的受容が身につく。
殺し文句「あるようにある」あるいは「なるようになる」。逆説的絶対肯定。
淡々としているようにみえて、その奥には情熱が宿っている。自己において、より人間味が増す。なぜというに「人間」そのものであることなのだから。良し悪しにおいて良いものを求めるようになる。「良いものを求める」在り方、これを感覚的に表現するならば、胸を張れるかどうか、個人的には「魂の美しさ」がしっくりくる。「魂の美しさ」を求めることにおいて自ずと選び取られる、その単純な一択なのだ。迷いも不安も恥らいも疚しさもそこに発生する余地はない。断っておくが、道徳的な話をしているつもりは一切ない。人間ないし言葉ないし意味の構造がそうなっているだけのことで、この事態を好き好んでいるわけでもなく、どちらかといえば諦めに近い。
自己における選択とは、選択の余地なき選択であって命の一点張り、「これしかねえ」、むしろ ”Rock” なのだ。
自己において人生を味わう。こちらは精神的病とは論理的に無縁である。自我を手放すことが前提となる、が、慣れ親しんだ状態を手放すのであるから容易な作業ではないことも付け加えておく。とはいえ、誰にとっても可能であること、それもまた疑いようはない。姉御の言葉で結びとする。
『自我が完璧な虚無となったからこそ、そこに全てが流れ込んでくる』
『私たちが考えるとは、考えが考え自身を(私たちにおいて)考えているのである。
”わかる”とは考えについての考え自身の気付きである』
ー 池田晶子
【補記】
当記事に書かれていることを理解したい方は姉御の「人生のほんとう」という著書をお勧めします。『自己』『私』『これ』(すべて同じもの)を説明するために参考にしました。晩年に出版された、珍しく講義録の体裁をとったもので円熟した柔らかい姉御がいます。「語り調」なので文章は非常にソフトでわかりやすい。相変わらずの姉御節は健在。
認識と現実(前編)
精神病理について、哲学からのアプローチを試みたい。精神疾患は認識と深い関係があるからだ。臨床心理の療法の一つに認知療法というものがある。その手法には哲学の認識論という分野から取り入れた要素が多分に含まれている。認知療法を切り口に進める(※ここで述べる認識と認知の意味に相違はないものとする。認知は生物学的な情報処理の過程を指すようだ)。
ざっくりと認知療法を説明する。認知療法では、まず認識があって、その認識が現実を構成しているという前提がある。その際、現実を構成する認識そのものに妥当性があるか、認識に色付けを加えていないか検証する作業から始まる。
たとえば職場の誰か数人が会話をしていて自分の名前が出てきたとする。その内容はよく聞き取れなかったが、その時に笑いが起こった。何が話されていたか気になり、もしかしたら悪口を言われていたかもしれない、そう思ったことはないだろうか。
このようなことは誰もが体験したことがあるだろう。この時、悪口を言われていたかもしれないという認識はそのまま本人にとっては現実だ。悪口が実際にあったかどうかはこの時点では不明だが、少なくとも気がかりな事柄として本人の現実となっている。そして、ここでは恣意的な決定、悪口を言われていたかもしれないという決定が加わっている。
人は往々にして認識に癖をもっている。出来事がおきた時に自動的に働く、ある出来事にある内容を結びつける認識の癖のことだ。認知療法ではこれを自動思考と呼び、反復形成によって強化された認識の回路を、鋳型(スキーマ)と呼ぶ。
今回の例では【自分の名前が出た会話】→【笑い】→【嘲笑されている】といった回路を指す。無論、人によってはまったく違う回路がありうる。【自分の名前が出た会話】→【笑い】→【人気者だから褒められている】といった具合だ。
認知療法は、ある認識の癖を持つことで神経症的症状(脅迫的な不安感など)が頻出してしまう事態の改善を目的としている。今回の例でいえば【嘲笑されている】という認識によって強い不安感に悩まされる場合に、その認識(=自動思考)に妥当性があるのか検証し、症状の発現が軽微になるような捉え方を模索する。この模索を繰り返すことで、負の感情を誘引する自動思考・認識の鋳型の別回路を生成することも同時に目指す。
ざっくりと認知療法について説明した。認識のメカニズムの一端を垣間見るという点では有用だ。コップに半分入った水を「半分しかない」から「半分もある」と認識を変えることは、気分を肯定的なものとすることはありえる。が、仮に症状を軽減することができたとしても、対症療法であることに変わりはないし、個別の事象への対症に終わりはないだろう。何より、当人にとって紛れもない現実をそうでないとすることに、無理を感じるのも否めない。精神疾患の本当の問題、そしてその解決はまったく別次元のところにある。
認知療法に対して懐疑的、否定的な意見を述べた。だが根本的な認識の変容が起きた暁には、世界は大きくその様相を変える。さてここからが本題となるのだが、続きは次の記事にて述べたい。